2008年12月20日(土)
転倒、負傷、撤退IN大洗

目的地 大洗の日帰り入浴施設、涸沼のキャンプ場
ルート
行き :  環七 → 国道6号 → 国道354号 → 県道50号 → 県道16号 → 県道2号
帰り :  国道51号 → 国道6号 → 常磐自動車道(千代田石岡〜三郷)→ 首都高速(三郷〜加平)→
環七
走行距離 262km

西暦2008年12月20日土曜日。
この日を忘れることはないだろう。今後の人生において、幾度となく悔やみきれない思いと共に思い出し、己の迂闊さを呪うことになるはずだ。いや、そうでなくてはならない。なんと自分の愚かなことか、なんと浅はかな人間か。考えれば考えるほど、俺のばかばかばかばか!って感じだ。この日の出来事をことあるごとに思い出し、苦い思いをかみしめて教訓としなくてはならない。
2008年も残すところ11日となった土曜日、記念すべき初キャンプツーリングの地で、ああ、俺は倒れた。我がバイクと共に。

今回のこの文章はツーリングレポートではない。はじめにそのことを断っておかねばなるまい。これは己の愚昧さを我が胸に刻み付けるための、苦渋に満ちた撤退の記録である。(普通に書けないのかおまえは)


4時30分起床。洗面、トイレを済ませてコーヒーを飲みながら一服し、冬用の装備を身に付けた。ズタ袋や振り分けバッグにパッキングされたキャンプ道具とテントをCB400SSに括り付け、6時に自宅を出発。
環七のセルフスタンドで給油してガソリンタンクを満タンにし、国道6号を左折して北上した。今日は大洗で日帰り温泉につかり、涸沼湖畔のキャンプ場でキャンプをする予定だ。

土曜日とはいえ師走の20日だ。当然ながら道路は混雑していて、取手を越えても尚流れが悪い。予想していたことなのでのんびり進み、牛久市内でファミリーレストランに入った。
モーニングセットを注文してトイレを済ませ、ゆっくり朝食を食べて一服。冷えて来た体が温まったところで会計を済ませて店を出た。駐車場で出発の支度をしていると、細かい雨が降ってきてすぐに止んだ。

土浦市街から国道354号を走って、霞ヶ浦市に入った。
今やようやく通行している車の数が減り、頻繁なギアチェンジなしに走り続けることが可能な流れとなった。俺は軽快なエンジン音と、開けて行く景色を楽しみながら走った。

霞ヶ浦大橋を渡るとすぐ左にある道の駅、「たまつくり」の駐車場にCB400SSを入れた。
道の駅「たまつくり」には食堂や物産店があり、隣接する「霞ヶ浦ふれあいランド」の敷地には「水の科学館」っていう施設がある。この道の駅の食堂では霞ヶ浦の名物、鯉料理が食べられるらしい。
俺はトイレに入って一服し、道の駅「たまつくり」を出発したのだった。

国道354号から県道50号を左折して北上。
大分ツーリングムードが盛り上がってきた訳だが、天気が悪い。時刻は午前10時30分位。今日は曇り後晴れの予報なので、そろそろ雲の切れ間が見えてもよさそうなものだ。しかし今だ太陽の位置が分からないほど雲は厚く、それどころか時折細かい雨が落ちてきては止んだりしている。

太陽光が全くないので、いいペースで走っていると体が冷える。幸い冬用のライディングウェアのお陰で辛さは感じないが、手足の指先がジンジンしてきた。俺はとりあえず温泉に入ることにして、大洗に向かって進んだ。

県道50号から県道16号を右折して、広々とした田園風景の中を走る。やがて県道16号は森の中の道となり、木立の切れ目、道の左側に涸沼が見え隠れするようになる。茨城県の県道16号は、俺のお気に入りの道の一つだ。バイクでのんびり走ると本当に気持ちいい。

俺は快調に進んだ。CB400SSの排気音をトトトトトトと鳴らし、冷えた体を温泉に浸けることを考えながら、その幸せを想像しながら。
反対車線を走って来たチョッパーのハーレーに乗ったライダーが、ニカッと笑って左手を軽く上げてくれた。俺もすかさず左手を上げて挨拶した。今や俺の上機嫌は絶好調だ。この後に起こる事を知る由もなく。
俺は近づいていたのだ。もはや相当近い。その瞬間のその場所に・・・・(なぜにそれほどまでに仰々しく・・・)

国道51号の高架をくぐって県道2号に入り、太平洋の海岸線に出た。俺は大洗サンビーチの駐車場にバイクを入れた。この駐車場は夏の間は有料だが、海水浴シーズン以外は無料のようだ。俺はヘルメットとグローブをとり、太平洋を眺めてのんびりと休憩した。さ、温泉入りに行こう。

県道2号を大洗岬方面に少し進むと、市営の日帰り入浴施設「ゆっくら健康館」が見えて来た。俺はパーキングの入り口にCB400SSを乗り入れ、敷地内の通路を徐行した。
バイクを止める場所が分からないので、一旦CB400SSを停めることにした。通路の脇にCB400SSを寄せ、ギアをニュートラルに入れてエンジンを停止した。左足に体重を移してシートから降りようとしたとき、バイクが傾き、さらに傾き、サイドスタンドで停まるはずの場所を越えてなおも傾き、俺の体も傾いた。
サイドスタンドがきっちり出ていなかったか、或いは全くの出し忘れだ。
おお潮の香りよ、日の光をさえぎる厚い雲よ。俺は倒れた。我がバイクと共に!(だからなんじゃそら!)

俺は起き上がろうとし、左足がバイクと地面の間に挟まっていることに気づいた。左足を半ば無理やり引っ張り出したとき、左膝に違和感を感じたが気になるほどではなかった。見るとキャブからガソリンがもれていて、俺は焦ってバイクに取り付いた。ハンドルとキャリアのレールを掴み、バイクを起こそうとした。が、持ち上がらない。
一旦荷物を降ろしてから持ち上げようかと思ったが、もう一度やってみることにした。再びハンドルとキャリアのレールを掴んで腰を落とした。そして両足に渾身の力を込めた。バイクは僅かに持ち上がり、さらに力を入れると一気に起きあがった。あー良かった。

幸いバイクのダメージはクラッチレバーとシフトペダルの軽微な曲がりだけだ。エンジンも一発で掛かった。やれやれ、一安心だ。と思ったのは甘かった。俺はバイクに跨ろうとして左足に重心をかけた。そして左膝に激痛が走った。

俺は恐る恐る膝の屈伸を試みた。うぐっ!痛くてできない。もはや左膝の異常は明白だ。しかし、この時点では捻挫程度の損傷だと思っていた。それというのも、転倒したとき、どこかに打ち付けたようなショックは感じなかったからだ。
俺は考えた。ツーリングを続行すべきか、中止して帰るべきか。っていうか、その前に運転できるのか?

俺は右側からCB400SSに跨り(その際手で左足を持ち上げなくてはならなかった)、ギアチェンジできるかどうか試して見た。最初は膝に痛みが走ったが、足をステップの内側に寄せて、つま先を開き気味にすると痛みを伴わずにギアチェンジできることが分かった。
この痛みは徐々にひどくなり、明日になったら運転不可能な状態になるのではないか?俺はそのことを懸念し、この場から帰路につくことにした。
後から考えるとこの考えは正しかった。翌日の朝は左足が全く動かせないほど状態が悪化していたからだ。

痛みに耐えてスタンドを蹴り上げ、俺は発進した。つま先の角度に注意しながらギアチェンジを行い、信号で停車する際には停止ぎりぎりのタイミングで右足を着いた。国道51号のガソリンスタンドではバイクから降りずに給油してもらい、国道6号を左折して足立区の我が家を目指した。

時刻は13時位。国道6号の登りは混雑していた。停止、発進の繰り返しやギアチェンジがしんどい。俺は高速道路で帰ることにし、千代田石岡インターから常磐自動車道に乗ったのである。
左膝が痛くても腹は減る。千代田パーキングエリアにCB400SSを入れ、右足でぴょんぴょん跳ねるようにトイレを済ませ、売店のサンドイッチを食べた。

常磐自動車道は快調に流れ、三郷の料金所に到達した。料金を払うためにバイクを止め、何気なく左足を着いてしまった。しかも、足の角度が悪かったようだ。
「ぐわあぁぁーーーっ!」俺は叫んだ。
「え?」料金所のおじさんが、びっくりした顔で言った。
俺は歯を食いしばって右手のグローブをはずし、マップホルダーから通行券を出しておじさんに渡した。
「い・・・い・く・ら・・ですか?・・・くっ」
「せ、千四百円。・・・どうしたの?大丈夫?」
「だ、だいじょうぶです・・・」
俺は2,000円渡し、おつりをウェストバッグに無造作に突っ込んで発進した。すぐに左に停車してグローブを着け、痛みが引くのを待って発進した。

三郷からそのまま首都高に入り、加平で降りた。環七は予想どおり混んでいたが、歯を食いしばって進んだ。

午後2時45分。出発から262km走って、全然無事じゃなく、まったく無事じゃなく帰還した。
積載用のゴムロープを解いて、荷物を全て家の中に運んだ。なるべく左足に負担がかからないように注意したが、それでも感じる痛みは無視した。俺はどうにかやり遂げ、左足を投げ出して玄関に座り込んだ。そして痛みが引くのを待った。ああ、そうだ。この痛みは愚か者の証なのだ。


帰宅後の夕方、仕事に行っていたかみさんが帰って来てから、車で救急指定病院に連れて行ってもらった。整形外科の先生がいなくて詳しいことは分からず、翌日、日曜日もやっている整形外科にかかったが、結局そこでも紹介状を書いてもらい、月曜日に会社を休んで大学病院で診察を受けた。
結果骨折していて、しかも厄介な箇所らしい。CTを撮ってくれた技師の方が、「これは相当ですねー」と言っていた。ショックだ。木曜日に膝専門の先生の診察を受けて、手術するか、ギブスで直すか治療の方針を決めるらしいので、年内は仕事を休まなくてはならない。

痛いし、関節を副木で固定して松葉杖なので無茶苦茶不自由だし、なんと言っても職場のみんなに申し訳ないし、ものすごーく落ち込んでいるのである。それも全て自分が悪いのだ。かえすがえすも悔やみきれない。

という訳で、2008年のツーリングは最悪の締めくくりな訳だが、この教訓をかみしめて、二度と同じ過ちは犯すまい。と硬く心に誓っているところだ。



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